金井寺について

福岡県大牟田市三池、小高い丘の上にある金井寺。境内には「桜姫伝説」のお堂があります。
金井寺はもともと長者の家であったという話があります。
長い間、無住の寺であったり、火災にあった過去から詳しい歴史は不明です。
三代弘心和尚の時に改修され、現代の形となりました。

金井寺本堂

 

宗 派 黄檗宗(禅宗)
御開山 隠元隆琦
本 山 黄檗宗大本山萬福寺
山 号 桜姫山
寺 名 金井寺
御本尊 阿弥陀仏
住 職 國﨑 泰正

 

黄檗宗とは

黄檗宗は、臨済宗・曹洞宗と並ぶ日本の3禅宗の1つです。
中国より伝来した当初は「臨済正宗黄檗派」と称していましたが、明治9年に「黄檗宗」に名称を改め、現在に至ります。

他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残しているということ。

江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の総本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
朝夕のお勤めをはじめ儀式作法や法式・梵唄(太鼓や銅鑼など様々な鳴り物を使い読まれる、黄檗宗独特の節のあるお経)には、その伝統が受け継がれており、今日の中国・台湾・東南アジアにある中国寺院で執り行われている仏教儀礼と共通する部分が数多く見られます。

黄檗宗を開いたのは、インゲン豆の名前の由来でもある「隠元隆琦禅師」。

中国の明朝末(日本の江戸時代)、福建省福州の黄檗山萬福寺で住職として大いに禅の教えを広めていた隠元隆琦禅師が、日本からの度々の招きに応じ、承応3年(1654)に多くの弟子や職人を伴って長崎に渡来。
そして寛文元年(1661)、徳川家綱公より寺領10万坪を与えられ、中国の黄檗山萬福寺を模した明朝様式の禅寺が創建。
伽藍建築や仏像造りには、先述の職人達が力を奮いました。
隠元隆琦禅師が「黄檗山萬福寺」と名付け、その初代住職となったのが日本の「黄檗宗」の歴史の始まりです。
日本の各地の修行僧が大勢、隠元禅師に帰依し弟子となり教えを受け、その中には後水尾法皇や徳川家の将軍もおり、天皇家や武家にも黄檗宗の教えが広まっていきました。
そのご縁や恩恵もあり、黄檗宗は現在までの350年余りの歴史を数えられています。

『唯心の浄土 己身の弥陀』

禅宗の教え、即ち仏道の真理について端的に述べたのがこの言葉です。

この世で実在するのは心だけであり、総ての事物、現象は心の働きによって仮に現れたものであるとする「唯心」という考え方に基づけば、「浄土」(汚れや迷いのない土地、佛の世界)も心の中にある。即ち自分自身の身こそが阿弥陀仏なのである。
(「己身」の「弥陀」) (黄檗宗青年僧の会発行「黄檗」より)

私たちの心の中には本来、阿弥陀様がおられ、自分の心の中に極楽浄土を見いだすこと、そして心の中にいる阿弥陀様に気付くこと。
それが禅宗の教えです。

黄檗宗の教え